賽の瓦版

考えをまとめたりする雑記

ウサギとカメと欽ちゃん走り

「ウサギは欽ちゃん走りで練習をした。」

 

さて、冒頭からいきなりどうした?春の陽気に当てられたか?と思われそうな文だ。

この文は僕がまだ幼い頃に「ウサギとカメのお話で負けたウサギはこの後どうしたでしょう?」という問題への解答である。

この説明を入れたところでやはり「何を言っているんだ…?」となるのがほとんどだろう。というか分かる人がいたらむしろ怖い。

 

当時の僕の書きたかったことは「ウサギは走る練習をした」だった。しかし、その答えでは”どんな練習なのか”という具体性がないのである。(カッコよく書いてみたが当時はおそらく変にオリジナリティを出したかっただけに違いない。)

そこで僕は「あの室内で走れるやつでトレーニングするんだ!」と解答することにした。しかし、ここで問題発生。僕にはあの室内で走る機械の名前がわからないのである。そんなピンチ(?)の中で探偵漫画よろしく電流が走る。

 

「あの室内で走る機械は何かのCMで使ってたな…?」

 

天啓である。天啓は言いすぎである。テレビっ子であることが幸いし、事は良い方に傾き始めたのだ。テレビっ子は同じCMを何度も見るのでよく覚えている。

そのCMがこちらだ。(断片的な記憶から探し当てた。)

ご覧の通りファイブミニという飲料のCMである。このCMの中であの”室内で走る機械”が使われているシーンの右下に「欽ちゃん走り 大ブレイク!」と出ているのである。

僕は天啓のままにブログ冒頭の文「ウサギは欽ちゃん走りで練習をした。」を記述した。あの”室内で走る機械”の名前が”欽ちゃん走り”である事もわかり、気持ちよく解答を終えることができた。

 

後日、採点されたものが返却されて来た。例の解答の採点はもちろん丸が付いているだろうと思いながら解答用紙を開いた。そこにはあの”室内で走る機械”こと”欽ちゃん走り”に赤線が引かれ、その脇には「どういうこと?」と書かれていた。今の僕が採点官でも同じことを書くだろう。

母がその解答用紙を見た時にとても困惑していたのを覚えている。僕が母の立場でも同じこと思うだろう。しばらくの困惑の後、どういうことなのかと問われた。(なぜか)自信満々にCMの話をしたところ、合点がいったのか急に面白がってとてもいじられたのを覚えている。僕もおそらくそうするだろう。血は争えない。

その後しばらくは母が友人などに笑い話として話していたし、僕は回を増すごとに恥ずかしさも増していったのだった。

 

僕だけではないだろうが、物事覚え間違っていた事に気付いたときは恥ずかしさがこみ上げてくる。キクラゲをクラゲの一種かと思っていたこともあったし、天王洲アイルはモデルかタレントの名前だと思っていたこともある。こういう間違いを何かの折に気づいたならばまだしも、指摘されて気づいたときなんかは赤面ものである。耳が真っ赤になってしまう。

 

そんな性格も相まって人の知識が間違っているときも指摘しがたい。ある種の共感性羞恥なのだろう。その一方では(その知識間違ってるぞ…訂正したい…この人はもしかしたらここで訂正しなかったら今後間違え続けて恥をかくのではないだろうか…老婆心なのか指摘したいだけなのか…う~む…)などと考えている自分もいる。漢字の読みとかイントネーションはこの手の状況がよくある。結局言うべきか言わざるべきか、この記事どうやって締めようか、気づいたら原稿用紙3枚を超えているじゃないか、適当にこの辺で終わっておこう。