賽の瓦版

考えをまとめたりする雑記

平成を振り返れなかった雑記

時期が時期なだけに「平成最後の〇〇」やら「令和〇〇」というのを見る頻度が大変多くなってきた。

自分は平成生まれなのでもちろん初の改元なわけだが、感慨に耽るなどは特に無い。

先日TVを見ていたら花見スポットの街頭インタビューで、平成最後の桜が云々みたいなコメントを見て「いやいや令和になっても桜は変わらんやろ」とか一人でツッコんでいた。

ただ、改元と言うと全国的なお通夜ムードに包まれるもの、というイメージを昔から持っていたので生前退位という選択で令和フィーバーみたいな事になってるのは良いことなのかもしれない。

 

せっかくだし平成の振り返りでもしちゃうか。

なんて思ってみたもののただの半生の振り返りになってしまうよなコレ、とか考えつつ書き始めてみた結果、今回はゲームの振り返りをしてみようというところに落ち着いた。

 

年の離れた兄の影響もあるかもしれないが、自分は物心ついたときにはゲームが身近な存在だった。(年齢がガッツリバレそうな話題だが大した問題でもないだろう)

記憶が確かならばゲームのハードで初めに触れたのはゲームボーイだったと思う。

初代ポケモンが出るまでは「テトリス」と「スーパーマリオランド」をひたすらやっていた。

調べてみたらこのソフトの発売のほうが僕が生まれるよりも前だったので、おそらく兄のお下がり的なものだったんだろう。その辺りの記憶は曖昧どころか殆ど残ってない。

 

当時の僕が幼かったことを抜きにしてもテトリスとマリオのいずれのソフトも難易度が高かった(気がする)。

兄と母もやたらハマっていてクリアできない僕にドヤ顔でクリア画面を見せつけてきていた。もっとも当時は「ドヤ顔」なんて言葉は存在しなかったが。

今では大して負けず嫌いでもないのだが当時は簡単な煽りに安々と乗り、ムキになってゲームをやっていた。

ついにはどちらのゲームもクリア画面にたどり着くことができ、かなり満足感を得たのを覚えている。やったことがない方はぜひやってみて欲しい。今あの操作性のゲームをやる気になれるかはかなり人を選びそうではある。

 

それ以降はどんな順番でソフトをやったか定かではないが初代ポケモンからのポケモンシリーズ、ゼルダの伝説シリーズは特にハマってやっていた。

ハードは、携帯機ではGB、GBAGBA SP、DS、PSP3DSの流れ、据え置きでは64、スーファミ(何故か64より後に触った)、PS、GCPS2WiiPS3WiiU、Switchの流れだったかと思う。

(書いてみて思ったが常にゲームやってない時期がほぼ無いなこいつ…)

 

ハードの変化で「革命か??」と思ったときが何度かあった。

1つ目はGBA SPが出た時。バックライトのおかげで画面の視認性がかなり上がったのだ。

さらに「ベッドに入ってからもこそこそゲームできるぞ!」と歓喜したものだった。

電気が消されてからもゲームを続け、親にバレて電源を落とされ、何度も未保存だったデータが消えていった。やり直し作業はなかなか苦行だったが10割自分が悪い。

また、SPは従来の電池式ではなく充電式のハードとなったのも革新的だった。

(コロコロカービィはプレイできたものではなかったけど)

 

2つ目はDSのタッチパネル。タッチパネルが嬉しすぎて一人でピクトチャットで多くの時間を使ったのは僕だけじゃないはず(と信じている)。今にして思えば黒く塗りつぶして遊んでたのは何が面白かったのかという気もする。

2画面というのも革新的だったがタッチパネルの感動が凄まじくおまけ程度の印象だった。あまり2画面をうまく活用した印象のあるゲームは多くなかったと思う。自分のやったゲームの中だとジャンプスーパースターズとかはうまく活用してたかな?というくらいの印象

 

そして最後にWiiのモーションセンサー(ジャイロセンサー?)。始めは慣れずに煩わしさを感じたが、一度慣れるとなかなかどうして快適な操作性となっていた。慣れないと指のアイコンがプルプルしてなんとも情けない感じになってしまうのだがそれもまた面白かった。

多くの友人を小馬鹿にしたものだ。正直すまんかった。

その後発売されたWiiリモコンプラスでは更に細かい操作が可能になって、ゼルダの伝説スカイウォードソードではそれを活用したギミック(剣をグルグル回して相手の目を回すとか)でかなり楽しんだ。キャラと自分がつながっている感覚は少年心を掴まれた。

余談だがWiiの発売日(確か2006年12月2日)は朝6時半に起きてトイザらスに並んだ。普段は寝坊気味なタイプだったのにも関わらず、この日はとてもはっきりと目を覚ましたし、何故か年月日も覚えている。

今はもうネット注文が染み付いてしまっていているので、朝起きて並ぶというのはよっぽどの限定品でしかしないのだろうなあという謎の憂いも湧いたり湧かなかったり。

 

そんなこんなで今はSwitchとPC・タブレット(デレステ)でゲームを楽しんでいる。

ラティアスラティオスのためにチケットの配布会場にゲーム持っていった」とか「エグゼシリーズが面白い」とか「通信ケーブルから無線へ、そして通信内臓へ…」とか「HDMIで映像がめちゃくちゃきれいになった」とか「ゲームがネットにつながる」とかまだまだ話はいくらでも出てくるがキリがないのでこの辺で終わっておこうと思う。

今後もゲームには触れていくと思うのだが、果たして10年後、20年後のゲームはどんな操作性でどんな体験をさせてくれるのだろうか。

 

自分はゲームの楽しさの本質は「越えられそうな壁を与えてくれること」、「成長を体験させてくれること」にあると思っている。これらがないものは飽きが早い気がする。(※個人の意見です)

プレイヤーに親切な環境を提供してくれるのはもちろん歓迎だが、その結果壁がなくなってしまったり、プレイヤーの成長関係なしの時間を費やすだけのものとなってしまっては作業感を強いられるものになってしまうかもしれない。(プレイヤーが楽しみを見出す努力をするのも重要なことである)

もちろん「最近はそんなものばかりだ」なんて言う気は無いが、一定層そういう需要が生まれているようにも感じている。ガチャゲーも楽しいもの。

果たして、どう転がっていくのか。それもまた一興という気もする。